『ウインドーディスプレーと未来の資生堂デザイン』

SHARE

ウインドーディスプレーと未来の資生堂デザイン

資生堂のクリエイターが、各界で活躍する方々と「美」を語る対談シリーズ。資生堂 宣伝・デザイン部が設立100周年を迎える2016年は、「未来の資生堂デザイン」が目指す美をテーマに語り合います。今回は、資生堂がその歴史を通じて常に大切にしてきたウインドーディスプレーのお話です。ゲストは気鋭の建築家・中村竜治さんと、ウインドーディスプレーの第一人者、現代工房の安藤隆夫さん。2013年以降、新春の東京銀座資生堂ビルのディスプレーを、デザイン/施工それぞれの立場で手がけるお二人です。資生堂からは、そのクリエイティブディレクションを担う信藤洋二が参加。「変わり続けるからこそ価値がある」ウインドーディスプレーの魅力は、資生堂が「これからの100年」へ向かう際の鍵にもなりそうです。

100年続く文化発信メディアとしての「窓」

-- まず、資生堂のウインドーディスプレーの歴史を簡単に伺えますか?

信藤 資生堂が本格的にウインドーディスプレーに取り組み始めた時期は、ちょうど100年前まで遡れます。1916年(大正5)、初代社長の福原信三が銀座七丁目角(現ザ・ギンザ所在地)に開いた資生堂化粧品部に、大きな展示ウインドーが登場しました。当時、埋め込み式のフットライトを使用したディスプレーは日本初だったそうです。なお、資生堂 宣伝・デザイン部の前身となる意匠部が誕生したのもこの年でした。

中村 当時は社長さん自ら、意匠部の方々と共にディスプレー作業をすることもあったと聞きました。それくらいにウインドーディスプレーを重視し、力を注いだということですね。

1936年のウインドーディスプレー

信藤 資生堂は調剤薬局から始まり、やがて化粧品を作るようになりました。社名の由来は「至哉坤元 萬物資生」(中国の古典『易経』の一節。大意は「大地の徳はなんと素晴らしいものだろう。全てのものはここから生まれる」)。ですから、初期から「ホリスティック(包括的)な美の提案」への想いがあったはずです。そこから、ギャラリー、パーラーなどの文化発信の活動も生まれました。ウインドーディスプレーもそのひとつで、資生堂にとってはただの宣伝媒体ではありません。だからこそ、関東大震災や戦災などで中断された時期こそあれ、今日まで続いてきたのだと思います。

-- 安藤さん率いる現代工房は、渋谷の「忠犬ハチ公」像を手がけたお父様によって設立され、ウインドーディスプレーの施工専門会社として、1960年代から資生堂のディスプレーを担い続けてくださっています

安藤 現代工房では当初、本社ウインドーをほぼすべてご一緒し、さらにザ・ギンザや東京銀座資生堂ビルなどでも施工を担当してきました。資生堂の創業地・銀座という街自体が、明治期に生まれた煉瓦街の時代から各所でショーウインドーが誕生し、競演してきた場所です。ですから、ウインドーディスプレーは資生堂の文化であると同時に、この街の文化とも言えるでしょうね。

時代の動きをビビッドに伝える表現

安藤隆夫さんと中村竜治さん

-- 1960〜70年代当時、資生堂のディスプレーはどのように街を彩っていたのでしょう?

信藤 まず、独自の「動く彫刻」で知られる造形作家の伊藤隆道さんを社外から招き、多くの話題作が生まれたことが挙げられます。資生堂の宣伝部に入社した石岡瑛子さん(後に『アカデミー衣裳デザイン賞』などを受賞するアートディレクター)が、友人だった伊藤さんに声をかけたのがきっかけと聞いています。

-- モビールを大規模に使った作品などは、現代アートのインスタレーションのようでもありますね。

中村 とても建築的だな、と思う表現もありますね。たとえば、金属製の棒がらせんを描きながら重なっていく『資生堂サマー化粧品』(1966年)。構築的で、近い時期に日本の建築界で重要な動向となった「メタボリズム」との関連を思わせます。

信藤 時代との関わりを考えるうえで、興味深いご意見ですね。それでいうと、無数の球体を吊るして『Lip art』を立体文字にしたディスプレー(1967年)は、当時の美術界の動向、ポップアートからの発想もあったのではないでしょうか。これは当時、宣伝部に在籍した戸山築さんのデザインです。この頃から社内でも、ウインドーディスプレーの制作を含めた立体デザインの得意な人材を迎え、育てる動きがより本格的になっていきます。

安藤 伊藤さんは自分の工房をお持ちで、発案から施工まで自分たちでなさっていました。それもあって私たち現代工房では最初、戸山さんら資生堂の社内デザイナーの方々が考案するディスプレーを中心に施工していました。戸山さんの作品では、『pink pop』(1968年)もよく覚えています。口紅を連想させる紅色のボール群が透明な筒の中で上下する、動きのあるディスプレーでしたね。

中村 今ならコンピューターで制御しそうですが、当時はどのように実現していたのですか?

安藤 実はボールと筒のペアごとに、同じ数のヘアドライヤーを用意して下から吹き上げていたんです(笑)。現場でのそうした試行錯誤は毎回のことで、作り手の挑戦心をいい意味でおおらかに受け止めてくれる雰囲気があったとも感じます。

信藤 時間を止めたような静の世界で、動きを感じさせる表現もありました。たとえば、等身大の女性像が壁を通り抜けていく『おはようの肌』(1973年、デザイナー=太田雅雄)など。

安藤 やはり資生堂社内のデザイナーで、今の東京銀座資生堂ビルの誕生にも大きく関わった田中寛志さんは、小さなもので大きなものを表現するのが巧みな印象。金平糖やホオズキなど、身近で意外なものを効果的に取り入れた作品も記憶に残っています。

信藤 衣料を扱う企業のディスプレーでは、最新作をまとったマネキンが主役になり得ますが、化粧品は小さなものがほとんどです。逆にそこでの試行錯誤が、多様な飛躍を生んだのかもしれません。

中村 資生堂のディスプレーは、商品を前面に押し出すのとは少し違うものも多いように感じます。

信藤 そうですね。例えば、資生堂のリップスティック80周年を祝したディスプレーは、特定のブランドの商品を取り上げるのではなく、色とりどりの紅型を無数に並べ、女性たちの色褪せない美の多様性を表現しています。特に90年代後半からは、ウインドーディスプレーを商品プロモーションと紐づけるのとは別に、化粧や企業の文化を踏まえたうえで、時代や社会に相応しい表現テーマを設定しようという意識が高まりました。2001年には竣工した東京銀座資生堂ビルを中心に銀座の街並を空撮でとらえた画像を用いたディスプレーがありますが、当時のコーポレートテーマであった「共に」を表現したものです。

『資生堂サマー化粧品』 資生堂パーラー(1966年)
『Lip Art』 本社ビル(1967年)
『pink pop』(1968年) 本社ビル
『紅』(2009年)
『Projection of Ginza City』(2001年)

「場」を活かす建築家流のウインドーディスプレー

中村さん

-- 中村さんは2013年から、東京銀座資生堂ビルのウインドーディスプレーを手がけてくださっています。ご専門の建築とはまた違う面もあると思いますが、どのように取り組んでいらっしゃるのでしょう?

中村 東京銀座資生堂ビルのディスプレー空間は、かなり大きな窓(高さ5m×幅2m×奥行1.5m)が2つ、銀座通りと花椿通りにあります。僕はこれに対し、建物の設計の仕事と同じように、ウインドーを敷地に見立てて、その形や周囲との関係からどんな建ち方がありえるのか、というのに近い感覚で取り組んでいます。たとえば、大きなウインドーいっぱいいっぱいを使いきり細いリボンを吊ることで、両者のサイズ感がどうつながるのか、またそれを遠くから見たとき、近くから見たとき、それぞれどう感じてもらえるのか。そんなことを考えながら作っています。

信藤 この「大窓」のディスプレーは難易度が高いんです。でも、中村さんは窓単体を超えて、建物全体を変容させるような案を考えてくださる。そこがとても魅力的です。また、中村さんは本当に細部まで緻密に考えますよね。たとえば2015年の『necklaces』は直径1.5mmのビーズを極細のワイヤー125本に通して吊るすものでしたが、このワイヤーの吊るし方ひとつで、描かれる放物線と表情が変わる。その微妙な曲線の表情まで計算しているのを図面で知り、驚きました。

安藤 施工をする側としては、中村さんとのお仕事は今まで経験のない難問も多いです。ただ、そのぶんやりがいもありますね。たとえば、小さなビーズを大量に扱うとなると、ワイヤーに通す作業だけで大仕事です(笑)。でも、中村さんは作業時間の推定値まで出してくださいましたね。

中村 作業時間も考えずにただ頼むと、断られるかなと思って(笑)。でも、僕らがあまりに細かく指定し過ぎると「どう実現してやろうか?」という安藤さんたちの重要な楽しみを奪ってしまうかもしれませんね

安藤 いえいえ、そこはありがたかったです。ただ、現場では図面に載らない難しさもあります。実際はやはり人間がやることですから、集中力や正確さを考えると計算通りにはいかない。このときは結局、途中でこうした作業に使える工業機械を探し出して解決しましたね。アイデアを現実の条件に即してかたちにする解決策を探るのも、我々の仕事の一部ですから。

中村 東京銀座資生堂ビルの特徴をもうひとつ。通常のディスプレーでは完結した空間を、外からの一方向からしか見られないのに対し、この大窓は外と内をつなぐ「窓」でもあるのがおもしろい。つまり、建物の外から見るとディスプレーを通じてお店の中の様子も感じられ、逆に内側から見ると都市の景観が切りとられる。窓は建物において最も重要な要素のひとつなので、その場を活かすという意味でも、ここはすごく興味深いウインドーディスプレー空間だと感じます。

安藤 たしかに。ただ、この場所でディスプレーを考える人の中でも、そうした内と外の関係を意識した人はあまりいないと思います。そこも中村さんならではだと感じます。

『necklaces』(2015年)
『necklaces』(2015年)

「Voyage」をテーマにした最新作の美の秘密

『Voyage』(2016年)
『Voyage』(2016年)

-- 2016年、新春の東京銀座資生堂ビルを飾る中村さんのウインドーディスプレーは、「Voyage」(旅)がテーマ。大きな合板がちょうど窓枠との接点で重なり、互いを支え合う繊細なバランスの美をなしています。これまでにも増して、建築家の中村さんならではの発想だと感じました。

中村 今回、「Voyage」というテーマから、「道」をキーワードに表現しました。そこに至った発端は、僕にとって旅は「風景」だと思ったこと。それは山並み、町並み、水面など様々ですが、今回のディスプレーも見る人によっていろいろな「風景」に見えたらという気持ちがあります。

-- それなりに重さもあるはずの合板が、ダイナミックかつ軽やかな印象で重なっていますが、釘や接合器具は一切用いていないのですか?

中村 はい。細かいお話をすると、実際には地震など想定外の力がかかる事態も考慮し、ウインドーの側壁にあった、照明の配線レールを設置する凹みを活かし金物を設置することで板の引っ掛かりを設けています。ただ、基本的には合板群と窓枠のみで成立する「かたち」にしているんです。下にある合板ほど重みがかかるので大きくたわんでいきますが、そこで描かれる曲線は、(恣意的なデザインではなく)そのままそこで起きていることでもある。そんなところが気に入っています。

安藤 今回の作品は、搬入作業はシンプルですが、現場でいかに精緻に組立てられるかが肝心。事前に工房でシミュレーションを行うなど試行錯誤を重ねました。師走のビルの営業終了後に現場入りし、翌朝までに仕上げる。特に新春のディスプレーは、節目の大事な仕事でもあるのできっちりと臨みたいです。

信藤 我々としては、ウインドーディスプレーを通じて、その場所でしかできない、そこに来ないと出会えないものに注目してもらいたいという想いがあり、今回のものはまさにそうなってくれると期待しています。

照明の配線レールを設置する凹みを活かしている

ディスプレーは文化をつなぎ、新たな価値を映し出す

-- 最後に、皆さんのウインドーディスプレーへの想いを伺えたら幸いです。

安藤 ウインドーディスプレーは、ふつう2、3か月でどんどん内容が変わっていきます。それを儚いと捉えることもできますが、季節や時代と共に常に変わっていくからこその新鮮さや美しさ、おもしろさがあります。我々からすると、長期展示ではない、期間限定だからこそ挑戦ができるのも魅力です。

中村 ふつう、建築というのは高い安全率のために、過剰に強くて固いものです。地震や耐久性への備えなどを考えれば必要なことでもありますが、期間限定のウインドーディスプレーのように、こうした側面をよりシンプルに考えてもよい場では、モノ自体の性質がよりよく現れる実感もあります。たとえば、板がたわむ柔らかさや美しさには、緊張感とリラックス感が同時に訪れる瞬間がある。それが僕にとってのウインドーディスプレーの魅力かなと思います。これは「モノにじっくり向き合える」ことでもあり、建築の仕事をするうえでも有意義だと考えています。

信藤 私は、ウインドーディスプレーは「時間」だと思っています。そこには、都市においても季節の豊かな移り変わりを感じさせてくれる力がある。それが街に血を通わせ、活き活きさせるとも思うのです。また近年、資生堂銀座ビルのディスプレーでは「コミュニケーション」をテーマに、インターネットを介して人々とつながるアイデアや、多領域とのコラボレーションを試みています。2016年の新春展示『sensation of skin』は、18個のオブジェが上下動することで、スキンケアにおける「ハリを生む」「整える」「持ち上げる」といった感覚を可視化して感じてもらうもの。制作してくれたのは、ユニークな舞台制作・機械製作で活躍するTASKOです。

中村 さまざまな形をとりながら、ディスプレー文化は継承されていくのでしょうね。これはよく話題になる「紙の本と電子媒体の関係」にもどこか似ているかもしれません。電子書籍など新しいメディアには、たしかに従来にはない利点もある。でも当初懸念された、紙の本がなくなるようなことはなくて、むしろ今その価値を高めている一面もあると思います。

安藤 大切なのは、先達からの財産を受け継いでいく「場」や、それを実践する人々の存在です。どちらか片方では成立しないのも事実ですから。でも、それこそ時代の変化と共に、新しい可能性もまだまだ開けるのではないでしょうか。今日のような取材にしても、インターネットというものを通じてウインドーディスプレーの文化が広がっていく、その一端につながると思いました。

信藤 そうですね。もちろん、ウインドーディスプレーは企業と社会、双方に利益貢献できる活動であるべきです。そのためにはやはり「そこにしかない」表現を追求しつつ、より多くの方々に知ってもらうことが重要かと考えています。唯一であることの価値が、同時に人や情報のハブ(結節点)にもなり得るといいなと。そのために何ができるか、今後も考えていきたいです。ぜひ、お二人も引き続きお力を貸していただけたら幸いです。今日はありがとうございました。

『sensation of skin(肌の感覚)』(2016年)

Profiles
  • 中村 竜治 | 建築家
    1972年、長野県生まれ。一級建築士。東京藝術大学大学院修士課程修了。青木淳建築計画事務所勤務後、2004年に中村竜治建築設計事務所を設立。主な仕事に、空気のような舞台(新国立劇場オペラ「ル・グラン・マカーブル」舞台美術)、とうもろこし畑(東京国立近代美術館「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」)などがある。2007年にはオランダのTHE GREAT INDOORS AWARDを受賞。2008年にくまもとアートポリス熊本駅西口駅前広場設計競技優秀賞も獲得。

    ウェブサイト
  • 安藤 隆夫 | 現代工房 代表
    1947年、東京都生まれ。現代工房代表。1958年、渋谷の忠犬ハチ公像の制作者であった彫刻家・安藤士氏が現代工房を設立。ミキモト本店や資生堂本社のウインドーディスプレーの制作施行を手がける。1993年、安藤隆夫氏が現代工房を引き継ぎ、職人技ともいえるウインドーディスプレーを次々に世に送り出している。銀座ヨシノヤ(1998年〜2014年)、ティファニー銀座本店(1996年〜1997年)など、数々の名店のディスプレーを手がけ、現在はサンモトヤマ(1996年〜)、エルメスジャポン(1997年〜)などで活躍中。

    ウェブサイト
  • 信藤 洋二 | エグゼクティブクリエイティブディレクター
    1966年、東京都生まれ。1992年に東京藝術大学デザイン科大学院修了。同年資生堂に入社。クリエイティブ本部エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター。多摩美術大学生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻 非常勤講師。「東京銀座資生堂ビル」のディレクションをはじめ、「SHISEIDO」の商品や空間デザインなどに携わる。
SHARE
このページの先頭へ