『光と動きが生み出すアート。銀座の街を彩る資生堂のショーウィンドウが生まれ変わる』

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-- 今回、「SHISEIDO WINDOW ART」として新たに光が当てられる資生堂のショーウィンドウ文化ですが、その歴史とはどのようなものなのでしょうか?

小林: 資生堂は1872年、日本初の洋風調剤薬局として東京・銀座で創業しました。ショーウィンドウの分野に本格的に取り組みはじめたのは、1915年に社長に就任した福原信三の時代から。以降、現在まで100年以上にわたり歴史を育んできました。日本では当時はまだ珍しい領域でしたが、銀座はそんな新しい試みを行う街だったんですよね。

福原信三の信念であり、資生堂の企業哲学、美意識として現在まで脈々と受け継がれている考え方のひとつに「商品をしてすべてを語らしめよ」というものがあります。商品の魅力を伝えるための手段として、いちばん人の目に触れるショーウィンドウに商品を飾ったのも、この考えに基づいてのことだと思います。

そして、この文化がさらに注目を浴びることになったきっかけが、1960年代の伊藤先生のお仕事です。1964年の『東京オリンピック』に1970年の『日本万国博覧会(大阪万博)』と、日本全体が活気づき、人々がワクワクするものを求めていた時代、動きを取り入れた先生のショーウィンドウは多くの人を惹きつけました。

-- そもそも、伊藤さんへの最初の依頼の経緯は、どういったものだったのでしょう?

伊藤: 当時の資生堂会館(現・資生堂パーラー)は、モダニズム建築の巨匠・谷口吉郎さんの設計だったのですが、彼はショーウィンドウにも積極的だったんです。そのころのウィンドウは和を基調とした空間で、楠でできた立派な台の上にお盆が載っていて、そこに商品がぽつんと置かれている、というようなディスプレイでした。

でも、和を前面に押し出した当時のディスプレイは賑やかな銀座にそぐわないのではないかと、資生堂としても方向性を模索していたようで。そんなとき、パーラーのクリスマスの飾りつけの担当になったのが、当時社員だった石岡瑛子さん。彼女から、学生時代の知人だったぼくのところに相談が来たわけです。

伊藤氏の手がけたショーウィンドウ(1964年5月)
1967年12月
1970年2月
1972年2月

-- それまでもディスプレイの仕事はされていたのですか?

伊藤: いや、まだ学校を卒業して間もないころで、何も知りませんでした。でも、工芸科出身で手仕事は得意だし、四谷に小さなアトリエを持っていたので、仕事を引き受けられる土壌はありましたね。当時は空間デザイン専門の業者もなかったと思いますし。またそれ以前にも、ショーウィンドウではないのですが、テイジンメンズショップ銀座店の2階の売場に、頼まれてモビール(動く彫刻)を飾りつけたりはしていました。

小林: モビールは、先生が学生時代から得意とされている表現ですが、おそらくそれを石岡さんが見たのではないでしょうか。クリスマスということもあり、美しく、かつ誰もがワクワクできるものを求めていた当時の資生堂にとっては、まさに先生の作品がぴったりだったのだと思います。

伊藤: たしかに、最初のクリスマスの仕事は非常に喜ばれましたね。それからすぐのお正月、今度はショーウィンドウの依頼を受けて、蘭を活ける花器をつくりました。そしてそれが終わるとまた「次のウィンドウを考えてみないか」と。そんなことが結局10年間も続いて、100点以上の作品が生まれたんです。

年間で10回ほどやらせていただいたので、大変でしたよ(笑)。でも、いまでは考えられないようなラッキーでもありましたね。マスコミも多く来たし、ディスプレイを見るためだけにわざわざ遠方から来てくれる人もいた。電車のなかで「今月の資生堂、見た?」という、学生らしき女性同士の会話を聞いたことも、よく覚えています。毎月の新作を楽しみにしてくれていたんですね。

アートとデザインの境界を超えた 「ウィンドウアート」の先駆者

-- 伊藤さんは東京藝術大学で工芸を学ばれたわけですが、商業スペースで仕事をすることに抵抗はなかったのでしょうか?

伊藤: なかったですね。ぼくはジャンルをさほど重要視しないんです。工芸科で勉強はしましたが、教授が教えてくれるものをそのままなぞるのではなく、アートもデザインも横断して自由な造形をしたかったんです。

小林: 「SHISEIDO WINDOW ART」で使っている「ウィンドウアート」という言葉はもともと、1960年代当時の人々が、先生の手がけた資生堂のウィンドウディスプレイを形容して生まれた言葉なんです。「ウィンドウデザイン」や「ディスプレイデザイン」ではなく、アートとデザインの境界を超えた「ウィンドウアート」だ、と。

伊藤: いまインスタレーションという表現形態や、世界各地で行われる芸術祭がありますが、一時的に飾られて、会期が終われば消えてなくなる「命」を持った表現という意味では、ショーウィンドウも同じだと思うんです。また、街中で一般の人たちの目に触れるという意味では、ショーウィンドウも一種のパブリックアートですよね。

商業的でありながら、アート同様個人に訴えかける力もあるショーウィンドウは、ぼくにとってとても面白い世界なんです。これまで、照明や動く彫刻などいろんな分野を横断して活動してきましたが、資生堂での仕事が出発点だったと思います。

実体のない「光」や「動き」も、ひとつの素材として扱う

静岡県掛川にある「資生堂アートハウス」の伊藤氏の作品『5月のリング』(1978年)

-- 表現を幅広い人に届けたいという思いを強くお持ちだったんですね。「動き」のある作品には、いつごろから取り組まれていたのでしょうか?

伊藤: 大学時代からですね。当時、学校ではみんな粘土などで重い作品をつくっていたけど、ぼくは生意気にも「時代は軽量化に向かう」と友人たちに語っていました。時代の流れは反重力だと。そんな理由から、ぼくは作品に軽さや動きを取り入れていたのですが、実際、時代はその通りに進んだと思います。とくに現在は、インターネットの登場で重さもスケールもなくなった時代ですから。

小林: 時代の感性をいち早くとらえられていたんですね。伝統を重んじるアカデミックの世界にいたからこそ、余計に軽さや動きの要素を求めたという面もありますか?

伊藤: ええ。動きというのは、美術の専門家ではない一般の人の感覚にも、強く訴えかけるものです。現にショーウィンドウの仕事のあと、全国のさまざまな場所に動く彫刻を依頼されました。資生堂の運営する美術館、資生堂アートハウスの広場にも、高さ9メートルの動く作品『5月のリング』があります。また、『大阪万博』『沖縄国際海洋博覧会』『国際科学技術博覧会』と、国際的な博覧会でも作品を展示させていただきました。多くの人が集まって最先端の世界を感じさせる万博という場は大好きですね。

-- 伊藤さんの作品では「動き」のほかに、「光」も大きな特徴ですが、それもまた軽さの探求や人々の目を惹きつけるために取り入れられたものでしょうか?

伊藤: そうですね。実際、物質感や重量感がない素材には光るものが多いんですよ。ぼくは実体のない「光」や「動き」を「非物質素材」と呼び、ひとつの表現素材として扱ってきました。光の反射という意味では、球体がいちばん綺麗なのですが、かたちとしては完結しすぎていて面白くない。そこで、空間性を表現できる線にこだわってきたんです。ですが、最近は太いものを曲げる力がなくなってしまって(笑)。今回の作品は、細いワイヤーを曲げてつくっています。

小林: 線が細くなることで、より軽やかなものを目指していくことができそうですね。

伊藤: そうですね。その意味で今回の作品は、これまでのぼくの集大成ですね。

資生堂銀座ビル1階のショーウィンドウ。夜はライトに照らされ色とりどりに輝く
朝は自然光のなかで繊細な輝きを見せる
このような構造体が250個組み合わさり、ひとつの作品を構成している

立体と平面、実像と虚像が入り混じる 「ウィンドウアート」の楽しみ方とは?

-- 今回『銀座彩光』として展示された作品は、すべて新作だそうですね。

小林: 資生堂銀座ビルと資生堂パーラー銀座本店の3つのウィンドウに、それぞれ作品を制作いただきました。銀座ビルの大きなウィンドウに飾られている作品は、細いワイヤーでできた250個ものパーツで構成されています。パーツはすべて、先生がペンチを使って一つひとつ手作業でつくったものなんです。これは、われわれデザイナーからすると脅威ですね。デザインの世界だと、図面やスケッチを描いて、あとの実制作は依頼してしまうことも多いですから。

-- このかたちは、事前に設計されてからつくり始めるのですか?

伊藤: いや、つくりながら自然に、無意識のうちにできたものです。計数化や図面化が容易でないカタチに魅力を感じますね。

小林: 250個のパーツにはひとつとして同じものがなく、ワイヤーの太さも下がいちばん細くて、上に行くほど太くなっていくんです。にもかかわらず、計算され設計されてつくられたもの以上に、どこから見ても美しく、全体としての秩序を感じさせます。

また、ウィンドウの下側からは、光の三原色(赤、緑、青)をもとにした照明が当てられています。これらの色は混ざり合うことによって、どんどん色素が薄くなり白くなっていくという性質を持ちます。だから下のほうの色は濃くて、上に行くほどだんだん白く、明るくなっていくんですよ。

伊藤: ショーウィンドウの表現は立体の世界だと思われがちですが、じつはガラス面を通して見るという平面的な側面もあるんです。立体と平面の間というか、それらが共存している。その意味では、コンピューターグラフィックス(CG)の作品にも近いものを感じます。

-- たしかに今回の作品を前にしたとき、ワイヤーという実体を見ているのか、それに反射してガラスに映る光の現象を見ているのか、徐々に区別がつかなくなる感覚を覚えました。それが作品に、より軽さの印象を与えている気がします。

小林: 虚像と実像の入り混じる面白さがありますよね。ただ、先生の作品がCGと決定的に違うのは、一方通行ではなく双方向、インタラクティブであること。生で実物を見ると、見る角度によってさまざまな応え方をしてくれるんです。

今回の展示は 「朝日がショーウィンドウに差し込んだ瞬間」にも注目

町田駅前にある伊藤氏の作品『光の舞い "Light dances"』(1980年)
伊藤氏の代表作のひとつ、神奈川県箱根の「彫刻の森美術館」にある『16本の回転する曲がった棒』(1969年)

-- 見る時間帯によっても、印象が変わりそうですね。

小林: 朝と夕方、そして夜では、光の影響でまったく違って見えますね。この時間性も先生の作品の魅力だと思います。町田駅前にある『光の舞い "Light dances"』という動く彫刻はらせん型をしているのですが、朝と夕方で回転の向きが反転するので、反射する光の動き方が変わるんです。

伊藤: 日中は反射光が上に向かって動き、夕方からは下に動くんです。街の人たちに時間の経過を感じさせたくて。彫刻は、照明がなかった時代には、基本的に昼間に見られたものですが、いまは夜の光がある。彫刻もショーウィンドウも、24時間営業になったわけです。だから朝も昼も夜も美しくなければいけない。

小林: 今回の作品は、ウィンドウに朝日が差し込んだ瞬間、作品がスノーダストのようにきらきらと輝きます。それを見ると、先生が札幌出身で、雪景色のなかで育ったことにも想像が広がりますね。

伊藤: 以前、建築家の磯崎新さんが、「伊藤は札幌出身で、自分は大分出身だ」ということを比較的に語られたことがあるんです。「自分は子どものころから、太陽光の強い陰影のなかで生きてきた。緑の広葉樹の下には影があった。しかし、伊藤の世界は落葉樹の世界で、冬には葉っぱが全部落ちてしまう。あの作品の透明感はそこから来る」と。

そうした育った風土の影響は、作品のなかにあるかもしれません。いま、このインターネット時代には、風土と個人との結びつきは弱まって、世界中がフラットになってきているでしょう。軽い時代、実体のない世界になっている。そうした意味で、自分の作品はデジタルとは異なるものかもしれません。

『銀座彩光(さいこう)』は、 銀座の「再考」や「再興」のきっかけに

資生堂パーラー銀座本店のウィンドウは、球体のパーツからなる。写真は中央通り側のウィンドウ
こちらは資生堂パーラー銀座本店、花椿通り側のウィンドウ

-- あらためて、今回の「SHISEIDO WINDOW ART」をテーマとした展示の第1弾を、伊藤さんに依頼されたのはどういった思いからだったのでしょうか?

小林: 資生堂のショーウィンドウに新しい光を当て、もう一度盛り上げたいというのがプロジェクト全体の思いです。その第1弾として、資生堂のショーウィンドウの歴史をつくってくれた先生以外の選択肢はなかった。原点に戻る気持ちもあります。この試みを通して、銀座がふたたび明るくなればいいなと。

伊藤: 原点という意味では、ぼくにとっても同じです。ぼくは今回の作品を、ほかのどこでもない資生堂のディスプレイでつくれたということに、とても意味があると思っていて。万人受けする仕事はいくらでもできるけど、本当に良いものをつくりたいと思ったら、何でも引き受けるわけにはいかない。資生堂は昔から美へのこだわりを貫いてきた企業として、すごく尊敬しているんです。

小林: とても嬉しいお話ですね。今回、『銀座彩光』の告知フライヤーはぼくがデザインしたのですが、このなかの「銀座彩光」「伊藤隆道」の文字は資生堂書体でつくりました。先生が資生堂を非常に大切にしてくださっているので、それに対する感謝の思いも込めています。『銀座彩光』という言葉は、コピーライターの横山裕子と一緒に考えました。

伊藤: 「彩光(さいこう)」は、響きのうえでは「再考」や「再興」というふうにいろんな意味にとらえられる。今回の展示にぴったりの言葉ですね。

小林: 「最高」という意味もありますね(笑)。実際、通りかかった多くの人たちが、作品の前で写真を撮っています。心に響いているのだな、と感じますね。

オリジナリティーの溢れる表現で、 銀座を世界でいちばん楽しい繁華街に

-- 『銀座彩光』のテーマは「光と動き・宇宙」ですね。

伊藤: 宇宙が好きなんです。資生堂銀座ビルのショーウィンドウに、商品がひとつだけ置いてありますが、あれが地球という見立てで、ほかの要素はそれをとりまく星空。

小林: ぼくは展示を見て、いろんな宇宙を想像しました。頭の上に広がっている大宇宙はもちろん、もっとミクロな宇宙、それこそ身体の細胞や、そこに触れる化粧品もひとつの小宇宙かもしれない。

じつは展示を施工している最中に一度、商品はないほうがいいのでは、と思ったこともあったんです。でも実際に置いてみると、やはり場が引き締まった。作品があることによって商品がより輝くという、ショーウィンドウの目的を再認識した気分でした。

伊藤: 純粋性にこだわるつくり手だと、商品を置くことには抵抗するかもしれません。でも、ぼくはないですね。今回ぼくの作品のなかに置いた商品には「SHISEIDO」のロゴもしっかり入っていたので、余計に嬉しかったです。

-- 商品を置くことで完成するのが、良いショーウィンドウだということですね。

小林: 今回置かれているのは「SHISEIDO エッセンシャルイネルジャ」という、ニューロサイエンス(神経科学)に着想を受けた新商品です。この商品のムービーでは、身体のなかの神経細胞が光り輝き、まるで小宇宙のようにも見える表現がされているのですが、ぼくはこれを見たときに、先生の緻密な作品に似ているなと感じました。

ぼくのようなインハウスのデザイナーの場合、「商品はこうあるべき」というブランディングの意識が自由な表現を邪魔することも多いんですが、先生はそこを大胆に超えてしまう。にもかかわらず、それが最終的に美しく調和するのは、いまという時代の読み取り方や、そのなかで目指す方向性が同じだからなのだと思います。

伊藤: もうひとつ、今回はウィンドウのガラスにぼくの名前と、サインが入っているのですが、あれもとても大事なことだと思います。デザインの世界では、個人が作品とは切り離されて、埋没してしまうことが多いですよね。

小林: ディスプレイの場合、商品をしっかりと見せることが目的になってしまうので、余計にそうかもしれません。

伊藤: しかしそれでは、若いつくり手が表現行為に魅力を感じなくなってしまうと思います。かつては大学の教え子でも、ショーウィンドウをやりたいと資生堂に入社した人は多かった。デザインの世界にオリジナリティーが溢れることで、そんなことがもう一度起きてほしいという気持ちがあります。

小林: 「SHISEIDO WINDOW ART」では、今後資生堂のデザイナーたちが作品を発表していきます。あえて「アート」と呼ぶことで、商品にしばられすぎず、デザイナー個人のオリジナリティーのある表現が少しでも増えたら、という思いもありますね。

伊藤: 最近、街を歩いていても、「おっ」と心の琴線に触れるものに出会うことが少ないんです。個人性が感じられず、世界中、どこも同じになっている。そんななかで、世界から人が集まる銀座こそ、個人性を打ち出して、世界でいちばん楽しい繁華街にできればと思いますね。

-- 都市とつくり手個人を結ぶ場所として、ショーウィンドウには可能性があると?

伊藤: いま、日本が世界の国々にどんどん追い抜かれようとしていることに、とても危機感があります。これからの産業にはアート的な感性が必要といわれて久しいですが、日本はまだその部分が弱いですよね。そんな感性的な次元が厚みを増すためにも、ショーウィンドウを含め、個人の表現がもっと街に溢れていくことが重要なのではないでしょうか。資生堂には顔や人体の美だけではなく、街や都市、国の美にもいま以上に貢献してほしいですね。

INFORMATION

銀座彩光(Lumière vivante)

資生堂銀座ビル
2017年12月18日(月)~2018年3月16日(金)8:00~19:00
定休日:土曜日・日曜日・祝日 閲覧無料
住所:東京都中央区銀座7-5-5 資生堂銀座ビル1階
電話:03-3575-5431(資生堂企業文化部)

資生堂パーラー
展示:2017年12月26日(火)~2018年3月31日(土)
営業時間:11:00~21:00(12/29、1/3、4は~20:00) 閲覧無料
定休日:年末年始(12/30~1/2)
※2018年2月19日(月)はビル点検のため全館休業
住所:東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル1階大ウィンドウ
電話:03-3289-2099(資生堂パーラー広報グループ)

Profiles
  • 小林 幹也 | アートディレクター
    資生堂 クリエイティブ本部 アートディレクター。1970年東京生まれ。東京藝術大学大学院修了後、資生堂入社。2012年~2015年中国・上海駐在。宣伝広告、ディスプレイ、店舗、イベント、などを制作。
  • 伊藤 隆道 | 造形家
    造形家、1939年札幌市生まれ。1962年に東京藝術大学を卒業後、同年から資生堂のショーウィンドウデザインを手がけ、毎日産業デザイン賞やADC金賞など多数受賞。『日本万国博覧会(大阪万博)』をはじめとした万博にも参加。日本初のイルミネーションを手がけるなど、都市や建築空間の展示デザイン、照明デザイン、環境デザインなど幅広く活動するかたわら、国内外の野外彫刻展に作品を出品し多数の賞を受賞、動く彫刻の第一人者として活躍。東京藝術大学美術学部教授、副学長を歴任。現在、名誉教授。
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